ポルトガル王ジョアン1世の息子、エンリケ航海王子が北アフリカのセウタを攻略した際、捕虜のムーア人たちの話を聞いて、アフリカ南方のギニアに船でいくことを思いつき、研究所を設立した。

1418年、エンリケの部下だったジョアンとトリスタンがギニアを目指し出航したが、航路の途中に嵐にあいマディラ群島に漂着した。14世紀にはジェノヴァ人に発見されていたらしいが、本格的な開発に着手したのはポルトガルだった。
(同年、フランス人が入植していたカナリア諸島がイスパニアに譲渡されている)

マディラ島の詳細については、ヴェネチア商人のアダモストの手記に元づいて書くと、こうなる。

「マディラ島には二人の代官がいて、彼らが北と南に別れ島を治めている。マディラとは木材の島、という意味だそうだ。それだけ豊富な木材があり、また土地は肥沃で川も流れ、小麦を多く産しエンリケの指示でサトウキビが栽培され、上質な白く申し分ない砂糖を大量に精糖し、栽培されて日が浅いものの、良質なぶどう酒も取れる。この島はまるで 黄金なる果樹園 みたいな島だ」

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